『 親の願いA 』

 関市 光圓寺  日野 安晃 師

 

子どもの幸せを願い、将来を思わない親はいないと思いますが、その願いや思いが案外あやふやなものだ、と気がつかされます。
たとえば、これだけは伝えたいということがあるだろうか?と考えてみると、さっと浮かんできません。そこで、お父さんはお前たちにいつもどんなことを言う?と聞いてみると、「勉強しろ」と「早く寝ろ」だというのです。ホントかよ、違うだろ!と思うのですが、言われた本人が言うのですから、私の気がついていないだけなのかもしれません。そんな言葉は、いい学校に行ったからってそれだけで本当に幸せになれんのかよ、どうせ親の見栄だろ、自分だけは好きなだけテレビを見て勝手だな、というように、親のエゴとしか感じていないと思います。それにしてもと、いろいろ考えていくうちに、あることが思い出されました。中二の息子が、昨年夏、屋根から落ちてかかとを砕き、手術が必要となったとき、全身麻酔のため、万に一つの確率ながらも、いのちの心配をしなければなりませんでした。無事さめてくれるだろうか、たとえ手術が失敗して障害が残ることになろうとも、いのちだけは助かってくれと願わずにはいられなかったのです。
いのちが助かって欲しい!
これが、親が子どもに望む一番シンプルでストレートな願いではないでしょうか。勉強のできるできない、運動の得意不得意、健康であることないこと、お金のあるなし、これらは皆その後の問題のなのです。この順序を間違えると、無用に子どもを追い詰めていくことにしかなりません。
それでは、いのちが助かる、とはどういうことでしょうか。皆さんにも、ちょっと考えてみていただきたいと思います。
                              合掌