『 であい @ 』

 池田町 浄妙寺  野村 法宏 師



 

 先日、我が母校の中学校へ行ってきました。地元に住む社会人が、道徳の授業で先生役をするという時間のためです。私の担当は二年生で、「いのちの尊さ」と言う授業でした。
 卒業以来、二十数年ぶりに入る学舎は、多少の老朽化は感じましたが、ほぼあの時のままでした。チャイムスレスレにくぐった校門・部活動で汗を流した体育館・先生に呼び出された職員室・毎日の楽しみだった食堂、そして制服等々を見るにつけ、在校生の喧噪の中にありながら、しばし懐かしに浸っていました。
 いよいよ授業です。「いのちの尊さ」について、「私たちは何のために生まれてきたのでしょう?」と言うことを中心に話しました。テレホン法話をお聞きの皆様も「私たちは何のために生まれてきたのでしょう?」ということについて一緒に考えてみて下さい。そう言われてみれば、何のために生まれてきたのだろう、と考え込んでしまいますね。現時点では、子どものために一生懸命働いているとか、家族のために歯を食いしばっているとか、様々な答えがあるようですが、いつの時代でもどこの国へ行っても変わることのない「生まれてきた目的」って、何でしょうか?はっきり言って私にもわかりません。そこで、そんな時は仏さまのみ教えにお尋ねするがいいと教えられ、ズバリ「であうため」と聞かせていただいたことがあります。そうです、私たちがこの世にいのちを恵まれた目的は「であう」ためだったのです。では、誰に・何に「であう」のでしょうか?
この続きは次回にさせていただきます。

                              合掌