昭和60年8月12日の夜、日航ジャンボ機が群馬県の山中に墜落、520人がお亡くなりになりました。航空機事故最悪の死者の数でした。
そのお亡くなりになった人の中には、結婚式を挙げたばかりの新婚のご夫婦が大勢いらっしゃったそうです。たまたま、大安か友引かはわかりませんが、日が良い日を選んでご結婚されたばかりの方々が、その飛行機に搭乗され事故に遇ってしまったそうです。
わざわざ、日の良い日を選んだのに、何故このような悲しみに遇う結果となったのでしょうか。
亡くなられた方々はもとより、遺族・知友の方々の無念さは計り知ることはできません。
日の善し悪しについては、私たちの身近なところでも、よく使われます。
「ごえんさん、今度お墓をなぶりたいけど、日のいい日で都合つかんですか?」
「ご法事は、命日より早ようはええけど、遅れたらあかんわな」「明日は友引やで、葬式はあさってやな」
また、引っ越しのご挨拶や、病気の全快祝い、おめでたのご挨拶状には、何年何月の吉日とお書きになられるケースが多いようです。
日常の中でなにげなく使っている、日の善し悪しですが、親鸞聖人は700年前に、「悲しきかなや道俗の、良時・吉日えらばしめ 天神・地祇をあがめつつ、ト占祭祀つとめとす」と述べられ、手にお念珠をかけながら、日の善し悪しに惑わされた姿を嘆き悲しんでおられます。
日の良い日を選んで結婚式を挙げながら、航空機事故に遇われてお亡くなりになられた方々が、日の善し悪しを考えずに結婚式を挙げられたら事故に遇わなかったと言うのではないのです。
一寸先は何が起こっても不思議ではない、人生無常のことわりの生命を生かされる私が、真実なる依り所である阿弥陀さまのはたらきに出遇う時、日の善し悪しや吉凶などの占いが全く問題にならないだけでなく、反って邪魔になるのです。
合掌
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