『 親の願い@ 』

 関市 円光寺  日野 安晃 師

 

「親の願い@」
子どものいない者はあっても、親のいない者はいない、と聞かされたことがあります。なるほどナ、と思います。子を持って知るは親の恩という言葉が、子どもを育てないことには親の恩がわからない、ということではなく、人間であれば、誰もが親の恩を承知していて当然だけれども、ひとの親となりながらそのことに気づけない者は、これは、箸にも棒にもかからん、という意味になるのも当然です。
私などは、辛くも棒あたりに引っかかった口ですが、親は子どものことを、実にさまざまに心配し、願っているんだなと思わずにはおれません。こう気づかされてみると、親のありがたさは、親を縁としていのちを授けられたということだけにとどまらず、常に私の存在を気にかけてくれていることなのだと思います。
ところで、年間に、三万人もの方が自殺をされていると聞きました。現代人の孤独を思わずにはいられません。死を選ぶまでに思い詰められた方の気持ちを軽々しく推し量ることなどしてはならないことでしょうが、おそらく、誰も私の気持ちなど分かろうとしてくれない。私が死んだって誰も悲しむものなどいない・・・、こんなふうに自分を追い詰めてしまわれたのだと思います。けれども、考えてみていただきたいのです。親や兄弟や友人たちが、あなたの死をどれほど悼むかを、ひょっとすれば、自分の悲しみや苦しみが理解されていないと思うほどには、他者の悲しみや苦しみを理解しようとしてこなかったのではないか、と。
そして、もうひとつ大切なことに気づいていただきたいのです。世間の人があなたのことに無関心だったように、あなた自身、自分ののいのちの本当の親さまのことなど、考えてみたこともなかったのではないか、ということに。
                                合掌