『 ふるさとの山 』

 岐阜市 正蓮寺  鷲岡 護 師

 

大半が物見遊山ではありましたが、一応、お念仏ゆかりの地を訪ねるという名目で、東北を巡ってきました。にわか仕込みではありますが、東北にまつわる詩をいくつかご紹介いたします。
 『夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡』
 この句は、今から300年以上前、俳人松尾芭蕉(ばしょう)がみちのくの旅の途上、藤原氏の栄華の地・平泉で詠んだものです。芭蕉は北上川の悠久の流れを望みつつ、 「国が破れ滅びても、山や河だけはむかしのままの姿で残っている。荒廃した城とて春はめぐり来るが、草木だけが生い茂るばかりだ」 と詠んだ杜甫(とほ)の詩 『国破れて山河あり 城春にして草青みたり・・・』 を思い浮かべ、栄華盛衰の移ろいに涙したと綴っています。
 これらの詩が、時を経てさらに私たちの心に響くのは、杜甫や芭蕉がしみじみと感じ取っていた巡る歴史の無常、時の流れのはかなさを、今、私たち自身も我が身の上に同じく感じることができるからでしょう。
 ところで、杜甫や芭蕉は、ただ淡々とたたづむ山河・草木についてはどのような思いで見ていたのでしょうか。たとえば、岩手・渋谷村で一時期を過ごした詩人石川啄木(たくぼく)は、ふるさとの山を仰ぎ、 『ふるさとの山に向ひて/言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな』 と、詠んでいます。
 ふるさとの山河は、その懐に喜びも悲しみもすべてを包みこんで、常に私のそばにたたずんでいます。それは、移ろう時や歴史に翻弄される私をその苦悩が故に、そのままただ救うと誓われる阿弥陀仏のお慈悲そのもののようであります。
 『ふるさとの山に向ひて/言ふことなし/ふるさとの山はありがたきかな』


                               合掌