先週はプロ野球テレビ中継の疑問をお話しさせていただきました。
驕慢(きょうまん)は「おごりたかぶり」と訳される言葉です。おれが中心だという自負心や盲目的な上昇志向は、時には驕り高ぶり、周囲への「蔑み」、驕る者への「おもねり」や「へつらい」を生みます。これは組織でも、国家でも同じことが言えそうです。大国が小国を見下し、中央が地方を、都会が田舎を、多数が少数を見下す。そんな姿がそこかしこで見受けられます。
当然のことながらこのような驕り高ぶりは本当の「自尊心」「プライド」とは言えません。例えば愛国心も時には偏狭な国粋主義に陥ることは、日本が経験したつい半世紀から1世紀前の苦い歴史であります。
さて、話を先週の野球中継に戻しますと、公平性、普遍性が本来求められる全国ネットの局だからこそ、その内容に偏りが感じられる報道は例え野球であっても非難されるべきなのです。でなければ番組の冒頭に特定球団に偏った報道の中継をしていることを断るべきなのですが、それでは全国ネットキーステーションの看板を張る値打ちは無いと言えましょう。
怖いのは異常の中に永く身を置くと、異常が異常であることに気づけなくなることであります。
仏教で仏法を鏡とせよと説かれるのも、自分ではなかなか気づけない驕り高ぶりの自分自身の姿を仏法により知らされるからなのであります。
合掌
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