ここでは、住職とその仲間のお寺で運営している「テレホン法話」を掲載しています。法話は一週間ごとに変わっていきます。

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『 信仰 』

  岐阜市 正蓮寺   鷲岡 護 師


 気カもなく、将来に対して何の希望も持たないまま、ただ何となく学校へ来ている子どもに、どんな話をしてあげたらいいのだろうかと悩んでいらっしゃる高校の先生にお会いしました。
 その先生は、こどもと話をしようとして、話しかけても、全く反応がなく、話のきっかけすら見つからないと寂しそうにおっしゃいました。
 もうひとつ、その先生が気になるとおっしゃるのは、気カがないなりにも、人と接するにはそれなりの礼儀というか節度があるはずだけれども、ただ面倒くさいという態度があるだけで、人と人との関係が成り立っていないと言うことでした。あまり若い子と接する機会がないので、実感としてはわからないのですが、最近の世相をを者えると何となく想像できる気はするのです。
 ところで、その先生が言われるには、この困難な状況を切り開く道として、宗教、とりわけ仏教に期待しているのだけれど、何かいい教えはないでしょうかということなのです。
 思わぬ展開にちょっととまどってしまいましたが、私がとまどったのにも訳があり、それは、仏教がはたして現実的な社会の困難な状況を切り開く教えなのかどうかということについてです。
 その先生は、現代の若者たちに仏教が理想の正しい道を示すものだと思っていらっしゃるようでした。信f工協なくともお念仏の教えは道徳でも社会規範でもありません。現実に苦悩する私がその現実の中で生きてゆく勇気をもらうものだと思います。
 僭越とは思いつつ、今、先生ご自身が苦脳していらっしゃるわけですから、苦悩するご自身のこととして、ぜひ、仏法に出逢ってくださいとお伝えしました。
先生は「ああそうか。仏様にお参りするのは、私なんですね。」といわれました。
 信仰は、お念仏はそれをよろこぶ人から伝わっていくのだと思います。一見無気カな高校生もいつかは、お念仏をよろこぶ人からみ教えにであっていくことと思います。


                             合掌