『 曇鸞大師 』

 春日井市 春日井布教所 加藤 礼嗣 師


 「七高僧」のお一人、中国の曇鸞大師のお話です。
  曇鸞大師が著して下さった「往生論註」の中のご文に「けい蛄(けいこ)は春秋を識(し)らず・・・この虫あに朱陽(しゅよう)の節(せつ)を知らんや」という一文があります。「けい蛄(けいこ)つまり蝉は春や秋という季節を知りませんから、夏を生き、夏しか知らない蝉は、夏を夏とわかるはずはない。」ということで、四季を知って初めて、今自分が存在している季節が、どういう季節なのかを知ることができるとおっしゃってくださっているのです。
  夏を知らない蝉のように、この娑婆世界しか知らない私たちにとっては、この世が「まよい」であるということは理解できないということをご指摘くださるお言葉であります。 私たちは、自分が知りうる世界の中だけで、自己中心に物事を判断して、それを本物だと思い込んでいますから、「まよいの世界」を生きておりながらそのことに気づきもしませんし、自分自身の目で、自分をどれだけみようとも、自分の「まよい」に気づくのは難しいことです。浄土という「さとりの世界」を知らされることによってのみ、「まよいの世界」に生きている自分自身の姿が知らされていくのです。
  曇鸞大師は、「まよいの世界」を生きる私たちが、「まよい」に気づき、「さとりの世界」に生まれる身に定まるのは、阿弥陀様の願いである本願を聞かせていただくこと、すなわち信心ひとつであり、それは、すべて阿弥陀様のはたらき、他力によるものであるということ、そして「まよいの世界」を生きる私たちであっても、ひとたび信心をいただけば、まよいの世界にありながら、「まよい」を超えた世界が開かれていく身にさせていただくことができるのであって、わたしたちがたのむべきは阿弥陀様であると明確にしてくださったのです。
  曇鸞大師が不老長寿の仙経を焼き捨てて浄土教に帰依されたように、私たちも、自分自身のはからいを捨て阿弥陀様にすべてをおまかせして生きる道を、歩ませていただきたいものです。

                              合掌