『 分陀莉華 』

 糸貫町 覚勝寺  鷲見 真人 師


 正信偈のなかに、聞信如来弘誓願、是人名フン陀莉華というご文があります。今日は、このご文について、お話したいと思います。
 お釈迦様は次のようにおっしゃいました。
たとえどんな人であっても、阿弥陀如来の救いを喜ぶ人は、ふんだりけである、白い蓮の華であると誉め讃えられました。
 よくよく考えると、これは大変なことなのです。仏様の願いは、ありとあらゆる命が、自他の区別なく、お互いをいつくしみあい、尊びあい、喜びに満ちることなのです。お互いに、相手の苦しみを自分の苦しみとし、相手の喜びを自分の喜びとすることなのです。
 それに対し、私たちは、普段、なにげなく生きているのですが、その生き方はどうでしょうか。仏様の願いを聞くとき、仏様の願いにそむき、自分の都合で他者をないがしろにしていないでしょうか。私たちが、それぞれ、他者をないがしろにしあい、お互いを苦しめあいながら、苦しみもがくのを、黙ってみておれない。なんとかして、苦しみのない浄土、仏様の世界にすくいとると誓って、救いのお浄土の世界をを開いてくださったのが阿弥陀様なのです。私を必ず救ってくださるという仏様、阿弥陀如来様がおられることを聞いて、なもあみだぶつ、なんまんだぶ、と、お念仏する。その人を、ふんだりけ、白蓮華と呼びましょうとおっしゃるのです。
 仏様の願いに逆らう生き様の私が、ひとたび、お念仏する身になるとき、仏様から、誉め讃えられるのは必ず救うよ、お浄土の仲間にしたてあげるよ、お念仏しておくれとの、阿弥陀様の願いに疑いなく従う人だからです。
 私たちの姿をごらんになって、阿弥陀さまは、このままでは、誰も救われない、苦しみの世界はなくならないから、お浄土にすくいとり、仏の身にさせるとお誓いになられたのです。このおおせに疑いなく従うから、ふんだりけ と、ほめられるのです。私は、ふんだりけとのお言葉にであうとき、我が身をふりかえらずにおれないのです。そして、ただ、なんまんだぶ、なんまんだぶつとお念仏申されることです。

                              合掌