『 しあわせ A 』

 関市 光圓寺 日野 安晃 師


 前回の続きです。「しあわせ」と辞書で引きますと、仕事の「仕」に「合わせる」書いて「仕合せ」となっています。作家の司馬遼太郎さんによると、本来、武士が己の命をかけるにふさわしい主君に巡りあって、仕えることを「仕合せ」というのだそうです。なるほどなあ、と思います。確かに、辞書には、意味として、巡り合わせ、とか機会・機運に恵まれるとあります。
 痛いと泣いたら医者の仕事、では、『死』が怖いと泣いたら…。宮崎ホスピタル理事長であり自身も小児科の医師である宮崎幸枝先生は、痛いも、怖いも、診療所での訴えならぱ、どちらも医者の仕事なのだとビハーラの会を発足させ、毎月僧侶を招かれて、自ら先頭に立ってお聴聞の席につかれます。僧侶も顔負けの知識を持たれながら偉ぶったところは少しもなく、仏法にであうと「今」が輝きだす、臨終までもが安心であり、空しくない老いをと、南無阿弥陀仏にどっぷりっかっている安心を語られます。仏さまにであつた方は、こんなにも、強く、しなやかで、うつくしいものかと、感嘆しさせられます。
 この先生との出会いは、僧侶の原点を改めて確認させてくれるものでした。子どもの「しあわせ」を願わない親はいないでしょう。けれども、この人に出会えてよかった、この言葉に出会えたおかげで生きていける。というようなであいを大切に考えて
いる方がどれくらいらっしやるでしょうか。やもすると経済的成功のみを願つてはいないでしようか。親も子も、お金やモノに仕えるのではなく、ともに仏さまに巡りあい、仏さまに仕え、仏さまの願いに耳を傾けることこそ、「仕合せ」なのです。

                               合掌