幕末に井伊直弼という大老がおりました。彦根藩主でしたが、安政七年に諾外国と条約を結んだなどの枇判の中、桜田門外で暗殺されたことはみなさんも知っていることでしょう。
この井伊直弼が実は、念仏者であったことはあまり知られてはいません。
彦根城の自室で、ある歳の正月、井伊直弼は書きものをしていました。いつもの癖で、書をしたためながら彼の口から「ナマンダブツ、ナマンダブツ」とお念仏がこぼれ出たとというのです。近くに控えていた家来が、普段であれば、藩主の言うことですから黙って聞き流すのでしょうが、このときばかりは藩主におたずねしたそうです。
「お殿様、どうしてこのおめでたい元旦に、お念仏を称えられるのでしょうか?」と。
すると、彼は、「そなたは未だにお念仏の心をいただいておらぬのか。南無阿弥陀仏の阿弥陀仏は、無量と智慧と慈悲をお持ちの仏様じゃ。その仏様が南無呵弥陀仏と仕上げて下さった。ナモアミダブツとは、限りない「いのち」を与えるぞとの阿弥陀様からの喚び声じゃ。こんなめでたいことがあろうかと」。このようなことを家来に話し、お念仏を申し続けていたというエピソードが伝えられています。
. 私たちが、お念仏を称えさせて頂くのは、欲望を満たすお念仏ではなく、ただただ、「あなたを必ず救うぞ」との阿弥陀様のはたらきが私に伝わり、その悦びが私の口からお念仏となって溢れ出てくるのです。
ナモアミダブツ、ナモアミダブツ。
合掌
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