『 聞かされて気付く 』

 本巣市 正尊寺 鈴木 一生




 毎月、お定飯に行きますと毎回同じ話をされるご門徒さんがいらっしゃいます。初めてお話を伺ったときは、「苦労されて、辛い思いをされたのだな。」と素直に思ったのでした。
 そして、二度三度とお定飯に行くたびに、以前と同じ話をされるので少しは違う話題をと思うのですが、こんな私にでも辛い心の内を話して下さるので、ゆっくりと聞かせていただいていました。
 しかし、やはりたまには違う話題にしてみようと「今度こそは」と思い、いざお宅へ伺いました。お勤めが終わり、お茶をいただくと、また、以前と同じ話をされるので、私もあきらめて腰を据えて聞くことにしました。すると、どうしたことでしょうか?今までと変わらないお話なのに、するすると心にそのご門徒さんの気持ちが伝わってくるのでした。その時に、ハッとしました。
「今やっと、この方と本当に向き合うことが出来た」と、何度も話して下さったことに感謝し、また、今までのことが余計に申し訳なく思えたのでした。
聞いているのに、聞いていない・聞こえていないのです。それこそ、何回聞いても分からない凡夫のありさまを感じさせられます。阿弥陀様は「大丈夫か?辛かろう、悲しかろう。良かったね。」といろんな言葉で語りかけ、呼び声はお念仏となってこの私に届けられているのです。何度となく常に私に向けられていても阿弥陀様の呼び声には、なかなか気付くことはできませんが、「聞く」ということの大切さをこのご門徒さんに教えていただいたように思います。

                               合掌