『 自覚のない重病人 』

 瑞穂市 善徳寺 藤村 真樹 師


 先日、心臓病で入院された方のお見舞いに伺いしました。突然の入院だったとお聞きしていた私は、さぞかし気をおとされいることと思い、どのように慰めてあげようかなと思いつつ、病室に入ったのですが、とてもとても病人とは思えない元気さにこちらが驚かされました。
 顔色もよく、こちらが口を挟めない程よくしゃべられ、聞いてみると、えらいとか痛い苦しいことは全くなく、どうして自分がここにおるのか自分でもわからないとおっしゃられるのです。
 ところが検査の結果、一刻も早く手術をしなければ心臓の血管が詰まり、心筋梗塞を起こし、命を落としかねないとのことで、2〜3日中に、手術の予定とのことでした。
 この方は、定期検診でそれが見つかり、自覚症状がなくても入院、手術をされ事なきを得ました。
 えらいとか、苦しいという自覚症状が出ると私たちは、すぐに病院に走り必死に治そうと努力しますが、何もなけれぱ、そのまま放ったらかしにしてしまいます。
 老、病、死、という誰一人として逃れられない苦悩を背負いながらも、いつまで経っても放ったらかしにしてしまうのは、中々その自覚症状に気づく事ができないからです。
 自覚症状がなくても、逃れられない病気が私たち一人一人を着実に侵しつつあるのです。
 法を聞く、聞法、お聴聞は、その定期健診であり、治療なのです。欠かさず続けましょう。
                               合掌