『 生命まで道具に 』

 岐阜市 妙圓寺 佐々木 博 師


 最近、自宅から出棺するご門徒が少なくなり、もはや葬儀は、別の場所で行うという感覚が根ずきつつあるようです。
住宅事情もあるのかもしれませんが、多くの人から聞こえてくるのは、椅子席で楽だからとか、天候に左右されないから.、サ一ビスが行き届いているからなど様々です。
岐阜市内では、あちらこちらで、セレモニーホールの建設ラッシュで、空き地を見つけるとそこには、○○葬儀杜の建築予定地、若しくは建設中など、今や高齢化杜会に向けて各杜がしのぎを削っているようです。
 先日、ある葬儀杜の広告に、先行割引、年齢割引という謳い文句で折り込みが入っていました。内容を見てみますと、今年中に亡くな ると五十パーセント割引、年齢が重ねればなるほど割引率が高くな る、九十歳代で亡くなれば五十パーセント割引だそうです。
 人の生命まで商売の道具にされては、困ったものです。私たちは、「無常の風きたりぬればすなわち二つのまなこたちまち
にとじ一つの息ながくたえぬれぱ、紅顔むなしく変じて」と、白骨のご文章にあるように、我が身はいっどうなるのかわからない無常の人生を歩んでいます。だからこそ、一刻も早く、仏さまのみ教えに出あわせてもらいなさいよと蓮如さまは、教えて下さつています。
 今、葬儀杜の誘致合戦が増していく状況の中、商売優先、サービス合戦とハード面ばかり競い合う傾向ですが、各宗派の作法に基づいた葬儀をいたしますという謳い文句の葬儀杜があれば、私は、まよわずそちらの葬儀杜にお願いするでしょう。

                               合掌