『 ひかりかがやく  』

 岐阜市 正蓮寺  鷲岡 護 師


 ひかりかがやくというのは、どういうことなのでしょうか。
 理想の未来に向かって、人々の行動や、価値観をできるだけ統一しようとする時代がありました。私は直接経験していませんが、たとえば戦争への道をすすんだ時代は、そういう状況だったのだと思います。一方このごろは、どちらかというと、それぞれが持つ異なった価値観を大切にしようという傾向が強いようです。しかし、個性という名のもとに、自己中心的な振る舞いが大手を振ってまかり通るのも、あんまり気持ちのいいものではありません。つくづく、私たち人間は、時に応じて勝手なものです。
 さて、そんな私たちに、仏法を説いてくださったのが、お釈迦様です。それぞれの個性と苦悩の状況に応じて説かれたみ教えは、一般に八万四千の法門といわれ、それは何巻ものお経になって、今、私たちのところへ届いています。
 今の私たちは、お悟りへの道を清らかに生きることが困難な時代を生きていますが、有り難いことに、お釈迦様はそういう私たちに見合ったみ教えを、ちゃんと二千年も前に説いておいてくださったのです。それが、ご法事のときに読む、あのながい仏説無量寿経というお経さんです。無量寿経には、阿弥陀仏という仏さまのことが書かれています。苦悩の生きとし生けるものを必ず救いとるという阿弥陀仏の願い、阿弥陀仏の慈しみのお姿が繰り返し繰り返し説かれているのです。その阿弥陀仏のおこころを説かれるとき、お釈迦様は、慶びにあふれ、かつてないほどひかりかがやいていらっしゃたといわれています。真実の教えにであい、お釈迦様はひかりかがやいていらっしゃったのです。
 私たちはついつい、理想の未来やそれぞれの個性そのものが、ひかりかがやくのだと錯覚し、そんな妄想を追っています。それもひとつの生き方ですが、私たちは、尊い阿弥陀様の願いに出逢っているのですから、それをよろこび、ひかりかがやいて、お念仏の道を歩んでいきたいですね。


                             合掌