『 善導大師のお話し 』

 春日井市 春日井布教所  加藤 礼嗣 師


 お正信偈に「善導独明仏正意」と詠われていますように、善導大師の偉大なるご功績は、『観無量寿経』に対する古今の解釈の誤りを正して、ただ独り、お釈迦様の真意を明らかにされたことです。大師がお生まれになった時代「観経」は、聖道門の高僧方によって盛んに講義されていました。しかし、それらはすべて、修行により悟りに至る道が示されているとする自力聖道門による解釈でした。大師自身も、「観経」の研究と実践をするために、厳しい修行に励まれました。しかし、聖道門から見た「観経」の解釈に満足することができませんでした。
そして、道綽禅師に出会われたのです。禅師の教えは、「凡夫でも阿弥陀様の本願力であるお念仏によって報土に往生を遂げることができる」というものでした。すなわち、自力修行によってではなく、阿弥陀様のお力、他力、お念仏によって、報土に往生することができる」という、これまでの解釈とはまったく違うものでありました。大師はその教えを受け継ぎ、さらに発展させてくださいました。
 大師の時代、阿弥陀様の報土に往生できるのは、高いさとりの境地に達した聖者でなければならないと考えられていましたから、凡夫が、しかも、たった十回お念仏をしただけで報土に往生できるとする大師の教えは受け入れがたいものでした。そんな時代に、念仏によって往生できることを様々な角度から明確に示し、「観経」が修行を積んだ菩薩や聖者のための経典ではなく、凡夫のための経典であることを力説くださったのです。大師によって聖道門から浄土教が独立することができたのです。親鸞聖人はそのご功績を「善導独明仏正意」と詠ってくださったのでした。



                             合掌