ここでは、住職とその仲間のお寺で運営している「テレホン法話」を掲載しています。法話は一週間ごとに変わっていきます。

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『 無常の中で 』

  岐阜市 妙圓寺   佐々木 博 師


 年老いた者がだんだん衰えて先に死に、若い者が元気であとに残るのが、一応の順序であるというものの、必ずしもそうはならないで子どもが親に先立ち、昨日まで元気だった人が今日はこの世にいない。そんな一見矛盾したことがあらゆるところで起こります。このような姿を無常とか苦とかいい、仏教はこれを繰り返し説いているのですが私たちは、なかなかこれに耳を傾けようとしません。
 釈尊が、お亡くなりになる三ヶ月前に、弟子の阿難に向かって自分の余命がいくぱくもないであろうことを、それとなくお告げになりました。しかし阿難は釈尊の言葉の意味に気づかず、むしろ、この超人的な偉大な師こそはいつまでもこの世に存在して弟子たちを導いてくれると考えていました。
 ところが、やがて釈尊の死が決定的なものであるとわかつたとき阿難は、「師よ、何故にかくも早く逝きたまうか」と嘆かれたと大涅槃経に書かれてあります。しかし、釈尊の死は急にやって来たものでなく、実は、数ヶ月、数年、数十年前から徐々に迫っていた決定的な事実だったのでしょう。だから、後に釈尊は、「汝は、もっと早く私の死の影に気づくべきであった」と述べられています。まさに阿難はうかつだったのです。私たちも阿難と同じように、うかつに暮らしてはいないでしょうか?
他人の人生はおろか、自分自身の明日も知らず毎日過ごしているのが私たちの姿です。
 無常の世界にたっている私たちを必ず救うぞと呼びかけてやまない方が阿弥陀さまであります。

                             合掌