先日、日曜学校の研修会に行ってきました。
そこで、本願寺の境内を使ってネイチャーゲームといって、私の周りにどんな音が聞こえてくるのか、聞こえてくる音を目を閉じて 自分なりに表現し紙に書いてみようと、先生から問いがありました。
すると、風の音、木の揺れる音、鳥のさえずりや、子どもたちの声人が歩く音、虫の音、ほんの数分間の間にたくさんの音を聞くことができました。 周りの音を通じて、いろいろな「いのち」に出逢えたようで新鮮な感じでありました。
とかく、忙しさにかまけていると、雑念に捕らわれてしまい、聞こえる音も聞こえなくなり、また、見えるものも見えなくなるようになっている私であると反省したことであります。
金子みすづさんの詩に「星とたんぽぽ」という詩があります。
青いお空の底ふかく 海の小石のそのように
夜がくるまで沈んでいる 昼のお星は眼に見えぬ。
見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ。
散ってすがれたたんぽぽの 瓦のすきにだアまって
春のくるまでかくれている つよいその根は眼にみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ 見えぬものでもあるんだよ。
私たちは気づかないところで息づき、見えないところで生き抜いている「いのち」があることを教えてくれる詩です。
その見えない「いのち」にこそ私たちは支えられているのだと感じました。
合掌
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