ここでは、住職とその仲間のお寺で運営している「テレホン法話」を掲載しています。法話は一週間ごとに変わっていきます。

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『 曇鸞大師B 』

関市 光圓寺   日野 安晃 師

 

 不老長寿といってもまさか死なないわけにはいきません。そもそも、まだ死ぬわけにはいかぬ、と不安や焦りを感じてしまう生き方に問題はないでしょうか。

たとえば、受験生の息子を見ていると(自分にも覚えがあるし無理からぬ話ですが)、とても今を楽しむ、という生き方にはなっていません。受験勉強は苦しく嫌なもので、高校に入ったら、大学に入ったら、と楽しみは常に未来です。今夜、死ななければならないとしたら、さぞかし無念なことだと思います。勉強にしろ、仕事にしろ、私たちは、それを今に楽しむ工夫をせず、将来の楽しみのために今を我慢するか、刹那的な快楽に身を任せてしまいがちですが、どちらにしても不安と焦り、虚しさから逃れることはできないでしょう。仏教ではそのような生き方を是としません。

それではどうしたらいいのか?

 曇鸞大師は、様々な論を講説されるような大変な学者ですから、『観経』もご覧になられていたはずです。けれども、機縁が熟すとはこういうことかもしれません。いつのまにか偉い学者、賢い自分とうぬぼれていたが、とんでもない。今までは仏教を頭で、理屈として研究して分かったつもりでいたに過ぎない。本当に賢い者ならば、それで救われたのだろうが、私にはできなかった、と愚痴無智の一凡夫に立ち返って『観経』をいただくと、お浄土が「一切のものはすべて空である」という仏教の道理を一つもはずさず、しかも単なる理屈を超えて、今、現に、私に働きかけてくださってある仏さまの慈悲のお働きであることがしみじみと感得され、阿弥陀仏のご本願を仰ぐ、お念仏者となられました。

そうです。小さな自分のいのちを捨てて大きな仏さまのいのちに出遭わしていただくのです。




                               合掌