ここでは、住職とその仲間のお寺で運営している「テレホン法話」を掲載しています。法話は一週間ごとに変わっていきます。

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『 仏教とエコロジー @ 』

大垣市 縁覚寺   楠 眞 師

 

 仏教は、自然とのかかわりが非常に深い宗教であるといわれています。どうしてかというと、目本人にとって仏道というものと自然とは、ふたつながらにして救いの遺であったからです。例えば、禅宗の僧侶であった良寛さんの辞世の句にも、自然と自分の関係が歌われています。「形見とて何を残さん春は花山ほととぎす秋はもみじ葉」。つまり、「自分は形見に残すものは何も持たないし、何も残せるとは思わないが、自分の死後も白然はなお美しい。これがただ自分のこの世に残す形見になってくれるだろう」という歌です。
 私たち日本人は、昔から自然の中にこころのふる里を求めてきたのでしょう。
 私たちにとって、自然は人間に対立するものではなく、また従えるものでもなかったようです。つまり、人間のいのちを包み込んだ大いなるいのちとして、自然を大切にしてきたといえます。しかし、このように情感豊かに自然と接してきた目本人なのに、なぜ自然破壊を進めてしまったのでしょうか。
 作家の大仏次郎さんは、あるエッセイのなかで次のように書いておられます。
「日本人は自然を愛する国民としてながめられてきた。どうやらこれは嘘で、わが家の朝顔だけを大切に育てて、公共の自然のことはあまり考えないのではないか。金儲けのためならば、緑の山も森も、容赦なく裸にむいて荒らしてしまう人間と、それをよそごとに無関係でいる人々の方が多いのである」と。
 さて、私たち念仏者は今後、どのように自然とかかわるべきなのでしょうか。
 次回は、仏教、念仏の教えに、生き方としての生命観を、あらためて味わってみたいと思っています。
                               合掌