ここでは、住職とその仲間のお寺で運営している「テレホン法話」を掲載しています。法話は一週間ごとに変わっていきます。
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『 現前とする苦悩と無常@ 』
瑞穂市 善徳寺 藤村 真樹 師
親鸞聖人が八十八歳、文応元年という年に日本全国は猛烈な飢饉に襲われました。 「餓死の輩この国の半数にみてり」と日蓮も述べているように、お念仏の教えを聞いている人たちもバタバタ倒れ死んでいき、そのまま放ったらかしにされた死骸を飢えた人々が喰らうという事態があちこちで見られたようです。 その姿を見て、あるお弟子さんが親鸞聖人に訴えられたのでしょう。 「念仏者をなぜ阿弥陀さまはお救いにならないのでしょう?阿弥陀さまは何をなさっているのでしょうか?私は何を為すべきでしょうか」…と。 阿弥陀さまの救いを信じお念仏を慶んでいる人達が、あわれな姿で次から次へと死んでいくのを、目の前で見ているそのお弟子さんは聞かずにおれなかったのです。 「阿弥陀さまの救いって何なのだろうか?」 私の身近な方々の中にも、お念仏を慶んでいながら不慮の死…交通事故や自殺・ガンで見ていられない位苦しみながら死んでいかれた人もおられます。阪神大震災から今年で十年経ちますが、あの地震で倒壊した家の中で亡くなられた方々の中にも、お念仏を慶んでおられた方もおられたでしょう。 阿弥陀さまの救いって何?お念仏を慶ぶってどういう事? このお弟子さんの疑問に対し、私たちも同じ思いを持ち、そして何よりも親鸞聖ご自身が、その疑問に苦しみ悩まれておられました。 それが、親鸞聖人四十二歳の時、浄土三部経を千回読誦しようと発心されながらも途中でお止めになられた事実に現れています。 それでも、このお弟子さんの疑問に親鷺聖人は、 「人間の死に様は問題ではない。信心をいただいているかどうかが問題です」 と明確にお答えになっています。 何があっても、どうなっても、信心念仏が大切と言われ続けた親鸞聖人…そこを次回に深めたいと存じます。
合掌