ここでは、住職とその仲間のお寺で運営している「テレホン法話」を掲載しています。法話は一週間ごとに変わっていきます。

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『 現前とする苦悩と無常A 』

瑞穂市 善徳寺   藤村 真樹 師

 

 この世に生きている間は、どれ程かわいそうだ、気の毒だと思っても、思いのままに救うことはできないのだから、このような慈悲は完全なものではありません。ですから、ただ念仏することだけが本当に徹底した大いなる慈悲の心なのです。このように聖人は、仰せになりました。
歎異抄第四章のお言葉です。

 五年ほど前、八十の齢を超えながらもガンの病に冒され、死に至るまでの数週間の間苦しみに苦しまれ、看病していた方が「死なせてやりたい」と思い、死なせる方法はないかと本気で考えたことがあると言われた方があります。
 手足はベッドに縛られ、苦悶にさい悩まされる顔は鬼の形相であり、その口からは聞くに耐えない言葉を発せらる親の姿を、毎日見せつけられる者としては、いたたまれない思いであったことでしょう。
 目の前で、一番愛する者が苦しんでいるのに、救う術を持ち得ない、尽くせども尽くせども思うがごとく救い遂げられない悲しみと絶望。どうあっても、どうあがいてみてもできることは、ただ見守りるしかなく、泣き続けることしかできない私だったのです。              
 この厳しくも悲しい現実を、認め、受けとめられる私ならば、問題はないのでしょう。
 諦めきれない、現実を受けとめきれない私を、私自身が許すことができない私を、そのまま全てそのままでいいからと言って共に泣いてくださり、認めてくださるはたらきが、南無阿弥陀仏です。     
 ただ呆然と立ち尽くし、何もしてあげることができない私が、南無阿弥陀仏・お念仏に逢って、初めて「慈悲」を本当に語れるのではないでしょうか。


                    南無阿弥陀仏