ここでは、住職とその仲間のお寺で運営している「テレホン法話」を掲載しています。法話は一週間ごとに変わっていきます。

テレホン法話に興味のある方は、下記の番号(正尊寺テレホン法話)へかけて下さい

TEL 0581−34−4242

『 宗教とエコロジー(その1) 』

大垣市 縁覚寺   楠 眞 師

 

 「宗教とエコロジー」(その1)
 今から40年ほど前、アメリカの海洋生物学者レイチェル・カーソンは『沈黙の春』という本を出しました。今では環境問題の古典といわれている本です。タイトルの沈黙の春とは、春になっても鳥のさえずりが聞こえなくなったという事実からつけられています。なぜ春になっても鳥の鳴き声がしないのかというと、人間がたくさんの農薬を使ったために、人間にとっての害虫も死んだけれども、森や野原に棲む鳥たちも死んでしまったというのです。
 レイチェル・カーソンはこう云っています。「自然を征服するのだと、しゃにむに進んできた後をふりかえってみれば、見るも無惨な破壊のあとばかり」だと。そうです、私たちは自然を征服することが人類の英知だと信じて、文明を築いてきました。しかし、そのつけが環境破壊という形で、私たちに回ってきているのです。
 さて、環境問題の原因を探っていくと、この自然を征服するという考え方が、実はユダヤ・キリスト教に原因するのだといわれています。神の似姿として造られた人間、その人間を取り囲むあらゆる物は、神によって人間の為に造られたのであって、したがって人間の思うようにしても良いのだという考え方です。この考え方が科学技術の進歩をもたらし、一方で自然破壊を招いたのだというのです。
 このように、人間をあくまで自然界の中心にすえるという人間中心主義は、人類のことを「万物の霊長」と表現しています。思うに、この表現は今となっては、人間の驕りでしかありません。しかし最近、キリスト教は環境問題の解決の糸口を、その教えの中から導き出してもいます。次回はそのことをお話しましょう。


                               合掌