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『 怨親平等 その2 』

大野町 西光寺   野村 了嗣 師

 

 蒙古来襲は未曾有の国難であったにも係わらず時の政府鎌倉幕府は、敵味方を区別せず追悼供巻しています。このことは世界史という視野で眺めてもきっととても素晴らしいことで、あまり他には例の少ないことかと考えられます。もし「死者に鞭打たない。死者には敵も味方もない」というのが日本人の本来の価値観ならこれは世界に誇.って良い美徳ではないでしょうか。
 しかしその日本も江戸の幕末になると、倒幕・佐幕、勤王・佐幕で揺れ動き戊辰戦争へと至って明治維新を迎えたのですが、残念ながらこの戦乱では国内の内乱であ.りながら、敵はあくまでも敵として戦死者を敵味方峻別し、味方のみを厚く祭り上げ顕彰するという風潮が主流となっていました。勝てば官軍で、勤王の志士や官軍の戦死者はやがて神にも祭り上げられ名誉を与えられ顕彰されましたが、一方賊軍の烙印を押されて死んでいった人たちは死後も厳しい政治の差別を受けました。
 死者には敵も味方もないというあの蒙古来襲の時代にみられた日本人の美風は既に過去のもので、日本は敵味方を厳しく区別する思想を抱えたまま先の世界大戦へとなだれ込んで行きました。
 戦死者の追悼には敵味方の区別をしないこの姿勢は、「怨親平等」と呼ばれています。敵は未来永劫敵であり怨念の対象であるとする姿勢とは大きく異なり、何か救われ心が開かれる思いがします。もし毎年八月十五日にこの怨親平等の精神で全世界の戦没者の追悼を日本の政府が行ったなら、世界の特にアジアの日本を視る目もやがて変わるのではないでしょうか。



                               合掌