ここでは、住職とその仲間のお寺で運営している「テレホン法話」を掲載しています。法話は一週間ごとに変わっていきます。

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『 ご縁 』

岐阜市 超宗寺   鷲見 充晃 師

 

 最近、テレビやラジオなどで、「ご縁」という言葉をよく耳にします。割と若い年代の方も使っておられ、ありがたいなぁと聞かせていただいていることです。が、よくよく聞いてみると、自分にとって都合の良いことは、「ご縁」と言いますが、そうでない時に使っているのを聞いたことがありません。
 話は変わりますが、別の言葉で「縁起が良い」とか「縁起が悪い」という言葉もよく耳にします。そもそも「縁起」とは、縁によって起きると書きます。そのことに、そもそも良いも悪いもありません。ところが、そこに私のはからいが入ると、「良い」やら「悪い」という判断が出てきます。私のはからいで見ていますから、人との違いも出てきます。更に、「良い」とか「悪い」という判断をつけていく中で、ひょっとすると「無駄」なものを自ら作り出していないでしょうか?
 私の身のまわりにあるもの、起こること全て何一つ無駄なものはありません。「雨が降ると嫌だな」と思っても、雨も降ってもらわないと困ります。私にとって、良かろうが、悪かろうが、全てを「ご縁」として受け取っていくところに、昔から言う「おかげさま」という世界があり、その上にたって始めて、手の合わさっていく姿が備わっていくのではないでしょうか?
 今一度、私にとっての「ご縁」というものを考えてみませんか?



                               合掌