ここでは、住職とその仲間のお寺で運営している「テレホン法話」を掲載しています。法話は一週間ごとに変わっていきます。

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『 くるま 』

本巣市 正尊寺  鈴木 一生

 
  今ではほとんどの方が、車の免許を持っていることと思います。利用者が少ないため電車は廃線になり、運行するバスの本数も減り、これではどうあっても車に頼る以外はなくなってしまいますね。こうなってくると利用する機会が多い車には、愛着を持たれる方が多いことと思います。
 あるご門徒のAさんは他の方にこんなことを言われたそうです。「あんたの車は1424だから、いい死に方しない、だな。」と。今ここで言った車のナンバーは一つの例として言っていますが、こんな言われ方をしたら誰だって嫌に決まっていますよね。大切な愛車のナンバーを、本人を目の前にして適当な語呂を言われたら、不愉快になるのは当たり前のことです。しかしAさんはそれ以来、言われた語呂がどうしても気になり、本当に何か起こるのではないかと、今まで愛着を持っていた車をまるで悪いもののように思うようになってしまったらしいのです。
 また、Bさんは半年ほど前、今まで約10年間大事に乗っていた車から新しい車に乗り換えたらしいのですが、それからというもの事故にあったり、スピード違反で捕まったりと、あまり良くないことばかりが続いたそうです。どうもおかしいなとBさんが考えた結果、「これまでの事故などは、きっと車を乗り換えたことが原因に違いない」と、新しい車のせいにしてしまうようになったそうなのです。
 話を聞いてみれば確かに、それぞれ愛着を持って接してきた車ですから不快な思いはしたくありません。しかし、AさんもBさんも自分のやり場のない気持ちを車にぶつけているだけで、何の根拠も無い事実に惑わされているだけなのではないでしょうか。
 私たちの日常生活に立ち返って考えてみますと、このような事が実に多いことに驚かされます。例えば朝食の際、お箸が折れたとします。皆さんは、その日の中で何か良くない事が起こった時、「今朝、箸が折れたからだ」などと思ったりはしていないでしょうか。私たちはついそのように考えてしまいがちですが、世の中の一切の出来事には必ず何らかの原因があり、そしてそれは常に移り動いているものなのです。Aさん・Bさんの例にしても同じことで、数字の良し悪しを気にしたり、結果だけを見て悪く思い込んだりする事は、私たち仏教徒に求められる姿勢ではありません。私たちに必要なのは、そのありのままのすがたを正しく見つめ、真実を求めてゆく、そんな姿勢なのではないでしょうか。


                               合掌