ここでは、住職とその仲間のお寺で運営している「テレホン法話」を掲載しています。法話は一週間ごとに変わっていきます。

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『 つれづれに 』

池田町 浄妙寺   野村 法宏 師

 
  最近、次のような記事を読みました。
 保育園でのできごと。「給食のとき、お箸の持ちの変な子がいたので、こんな具合にもつといいんだよ」と教えると、親から電話が入り「給食を楽しく頂こうと思っているのに、楽しくなくなってしまったと子どもが行っている。余計なことはしはいでほしい」と。
 小児科の先生。診察に子どもを連れてやってき母親が、「お話をよく聞いてちょうだいね」「おりこうしてちょうだいね」と子どもに。診察が終わって「ありがとう」と言っていた。私にではなく、子どもに言っている。 神戸と熊本では中学生が、「勉強しなさい」という父親の言葉に、うるさいと腹を立て包丁で刺す。
 こんな記事は、枚挙にいとまがありません。そして、このような出来事に出会うと、「生まれた時代が悪かった」「昔はよかった」「都会は何があるかわからん」「うちでなくてよかった」と、その家庭やその本人だけの問題としてしまうのが、ほかならぬこの私なのです。しょせん、よそ事、他人事よ、と済ませています。
 でも、このような時代に生きているということは、私自身もこの世界を作り出しているということではないでしょうか。たまたま、私はそのような縁がなかったというだけのことなのかも知れません。
 親鸞さまは、そのような私を、いつ何時「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」身を生きていると。
 新聞に「軸足ならぬ軸味」という言葉が出ていました。私は、何を中心に見、何を中心に味わい、何を中心に考えるのでしょうか。


                               合掌