ここでは、住職とその仲間のお寺で運営している「テレホン法話」を掲載しています。法話は一週間ごとに変わっていきます。

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『 はかないいのち 』

本巣市 正尊寺    鈴木 一生

 

 先日、庫裏の軒下を掃除していたら鳥のヒナが二羽、巣から落ちて死んでいました。たぶんスズメのヒナでしょう。「何があったのだろうか?誤って巣から落ちてしまったのかな?なんて短いいのちだろうか。可哀そうに。」と、か弱いスズメだけにそう思わずにはいられませんでした。
 しかし、よくよく考えてみれば私は間違った考えをしている事に気付きました。産まれた時から大事に育てられ、たくさんの食べ物も与えられて、年々と寿命が延びていく生活環境の中で不自由することなく生きてきた私は、長く生きて当たり前と思い、短いわずかな時間で死んでしまったスズメを可哀そうとだけ思い、この私のいのちもスズメと変わらない事に気付いていませんでした。
 親鸞聖人が「明日ありと 思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」という言葉を残しておられます。明日がまた来ると思っていても、この無常の世界では何があるかわからない。私のいのちも明日まであるのかわからないのです。このようなことを、はかない人生・はかないいのちと言いますが、「はかない」とは「もろい、長く持たない、不確実で頼みにならない」という意味です。
 このように誰もが、はかないいのちによって生かされているのですが、いつまであるか分からないこのいのちの事を考えると怖くてなりません。そのために、どうすれば長生きできるか?と必死になってあれこれと考えますが、ただ、もがき苦しんでいるだけなのです。だからこそ、阿弥陀様はそんな私たちの事を憐れみ、何としても救ってやろうとして、救いの光を常に私たちに照らし続けていて下さるのです。
 いのちの終わりは誰もが目を伏せたくなるもので、また、明日にでも亡くなってしまうという事はなお更受け入れがたいものですが、私たちは常に阿弥陀様の救いの光の中に抱かれているのですから、感謝の気持ちでお念仏を称え、この身をおまかせすることこそ私たちが本当に安心して過ごしていける道なのです。 
                            合掌