ここでは、住職とその仲間のお寺で運営している「テレホン法話」を掲載しています。法話は一週間ごとに変わっていきます。

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『 大悲無倦常照我 』

岐阜市 正蓮寺  鷲岡 護 師


 
 1976年に発刊の、長谷川集平作、「長谷川くんきらいや」と言う絵本があります。当時、賛否両論はありましたが、こどものいつわりない残酷とも言えることばの中に、多くの人が何とも言えないさわやかさな涙を流したであろう名作です。
最近復刻されましたので、読んで、よかったら、こどもさんに読み聞かせてあげてはいかがでしょう。おすすめします。
 さて、私事ですが、20年以上前、長谷川集平さんの絵本一場面をモチーフにして、年賀状をつくったことがあります。防波堤の上で片肘をついて寝ころんだ青年が、ク□一ルで泳いでいく女の子をポーツと見ているシーンです。進路に迷っていた頃なので、正信偈の意訳「しんじんのうた」の「まどいの眼にはみえねども」ということばが、気になり、年賀状に、訳もわからず「煩悩障眼雖不見」というご文を載せました。
 その年賀状を受け取った方が、後日、「煩悩障眼雖不見の前後のご文が拓りがたい。よくお正信偈を読んでごらん。」と、感覚的にではなく、親鸞聖人のおことばにたづねることをすすめてくださいました。
 ご存じの通り、正信偈の中で、親鸞聖人は、
「罪の人々み名をよべ われもひかりのうちにあり まどいの眼にはみえねども ほとけはつねに照らします」と源信さまが述べられたことをそのまま受けて、如来大悲のたしかさを讃ってお
られます。
 ややもすると、自らの罪悪性や情けなさばかりに目がいき、それに気付くことこそ信仰と勘違いしてしまう傾向ですが、罪悪深重の凡夫なのは、当たり前。
 つねにわたしを照らすしてくださる如来大悲のひかりのうちならば、よろこぶ身として、お念仏申しましょう。




                               合掌