ここでは、住職とその仲間のお寺で運営している「テレホン法話」を掲載しています。法話は一週間ごとに変わっていきます。

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『 曇鸞大師 E 』

関市 光圓寺  日野 安晃 師

 

 それにしても、私たちの日暮は、あれこれ思い煩うことがいろいろで、まさに惑いで染め上げられたようなものです。一番苦 しいことは、愛するものとの別れはいうまでもないことですが、自分の思うに任せず、また、自分が生きている価値を見出せないまま、何のためにこんな思いをしてまで人は生きなければならないのだろうか、と自分を愛せず、人を愛せず、自分を許せず、人を許せずに、人知れず悶々としているときではないでしょうか。
 よくよく考えてみると、これらの苦しみの根っこには、どうも、死んだら人問、仕舞い、という思い込みがありはしないでしょうか。だから損だ、得だと躍起になるのです。けれども所詮、順境にあっては、それが失われることを恐れ、逆境にあっては、 これでは死んでも死に切れん、と嘆くしかないのです。
 そのときに、どんなつらいことにも意味があるんだよ、あなたの人生を、喜びもつかの間、死んだらそれで終わり、というよ うなつまらないものにはしないよ、必ず私の国につれて帰るから、精一杯、与えられた人生を生きておくれ、いつもそばにいる からね、という仏さまの願いに素直にうなずけた者は、世界が、もう、まるで違って見えてきます。
 それが、厳しい修行もいらず、仏さまの願いに素直にうなずくだけだというのですから、どんな者でも救われていく道が開か れているといえます。もっとも、どんなに厳しい修行をし、また、思い込もうとしても、素直にうなずいたことにはなりません。 自分の力では出来ない、というところがミソで、宗祖が本典総序に「たまたま行信を獲ば、遠く宿縁を慶べ」と讃嘆されたように、まさに仏さまのお働きなのです。




                               合掌