ここでは、住職とその仲間のお寺で運営している「テレホン法話」を掲載しています。法話は一週間ごとに変わっていきます。
テレホン法話に興味のある方は、下記の番号(正尊寺テレホン法話)へかけて下さい
TEL 0581−34−4242
『 もちつもたれつ 』
岐阜市 妙圓寺 佐々木 博 師
私は、現在ほど「いのち」というものが軽く見られている時代はないと思っています。情報化時代を向かえて数十年、いろいろなことを知られ、多くのことをみんなが知るようになりましたが、一番大切な「いのち」のあり方が見失われてきたようであります。 仏様の教えを通して私たちは「いのち」をどのように見ているかといいますと、一言で縁起という見方です。 縁起といいますと、一般的に縁起がいい、悪いとか、縁起を担ぐとか、縁起ものなどという言葉の使い方をしますが、これこそ仏様の教えとは縁がない言葉で、仏教本来の意味ではありません。 仏様の教えから言えば、縁起とは、縁って起こるということであります。つまり、「いのち」というものは、単独で存在するものではなく、必ず、他のいのちと依りあって生かされているということなのです。 おじいちゃん、おばあちゃんたちは、縁起という難しい言葉を、身近な言葉に直して味わっていました。それは、「もちつもたれつ」という言葉です。私も幼い頃、おじいちゃんや、おばあちゃんに二言目には「生きて行くにはもちつもたれつだからね」とよく言っていたことを思い出しました。最近は、あまり聞かれなくなったようです。現在では、もちつもたれつと言わず、何かにつけ関係ない関係ないという言葉でかたづけられているようです。 私は、これが一番間違った考え方だと思います。 差別の問題、いじめの問題、いろいろな「いのち」に関わる問題を関係ないとお互いに横を向いてしまう人間のあり方が問われている気がします。 お互いの「いのち」はもちつもたれつ、多くの人、空気、太陽に支えられながら、生かされているのです。 合掌