ここでは、住職とその仲間のお寺で運営している「テレホン法話」を掲載しています。法話は一週間ごとに変わっていきます。
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『 摂取して捨てざれば 3 』
大垣市 縁覚寺 楠 真 師
私たちの信心、いわゆる信仰の在り方というものが、どのような形をとっているかを振り返ってみると、阿弥陀様一仏といいながら、現実の生活の中で様々な神様・仏様とお付き合いがあることに気づきます。 親鸞聖人は、そんな凡夫である私たちに、念仏者は諸々の神様や菩薩様に敬い護られているという教えを説かれ、それ故に弥陀一仏以外のそれらを礼拝しないという姿勢を示されました。 親鸞聖人が「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」と浄土和讃に詠われた内容は、信心の人を阿弥陀様はどこまでも護り抜くぞと誓われた教えに他なりません。 それによると阿弥陀様は、凡夫である私を一度おさめ取られると、永く捨てることはないのだといわれます。真実の世界に生きようとするものを、ようこそ、ようこそと迎えとってくださり、逆に真実の世界から逃げようとする私をも、追いかけておさめ取っていくと誓われたのだといわれます。 この立場から、私たちが様々な神・仏のことを気にかけるという条件付けから解き放たれて、自由に主体的に生活することの意味を見出すことができるのです。 阿弥陀様は、所を隔てず、時を分けることなく、信心ある人を常に護ると誓われています。この護るということの意味も、いろんな考えを持つ人や自力修行の人にもやり込められることもなく、悪鬼神に悩まされることがないのだと言われます。 私たちは、お念仏によって何も恐れることのない、自由な人間にしていただくのです。弥陀一仏を信ずることの意味を共にあらためて深く味わいたいものです。 合掌