ここでは、住職とその仲間のお寺で運営している「テレホン法話」を掲載しています。法話は一週間ごとに変わっていきます。
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『 ありのままを見つめる 』
岐阜市 妙圓寺 佐々木 博 師
一休さんのとんち話の中に、庭師から曲がりくねった松の木をまっすぐに見る方法はないかと問われた一休さんは、すぐさまに、曲がりくねったまま見ていくと松の木はまっすぐ見えますと答えられたそうです。たしかにと頷かされる話であります。 私たちは、まっすぐにと言われたら、無理遣りにでもまっすぐしたくなります。そうしないとまっすぐになるとは思えません。 しかし、よく考えてみれば、曲ったなりに受け容れて見ることができたら、松の木もまっすぐに見えてくるのではないでしょうか。 別の見方で言えば、地球上にいる限り、私たちが直線と考えているのは、実は曲線だと聞きます。部分で見ると直線に見えますが、地球は丸いのですから、それにそってまるく曲線を描いているのです。 私たちは、普段から、ありのままに物事を見ているような気がしていますが、実は、白己中心で物事を見つめ、人の話もろくに聞かず私のご都合主義で無理遣りに突き進んで行っていることに気づかされます。 親鸞聖人は、仏法聴聞こそが浄土真宗ですと示されています。親鸞聖人の書物には、「聞」というは、衆生,仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞というなり」と示されその中から親鸞聖人は、煩悩具足、罪悪深重、地獄一定の私であったと自らを味わっておられます。救いがたい私がいたからこそ阿弥陀様の救いが私に向けられている。そのことに気づかされたときに、救いや成仏の障りになるはずの煩悩が阿弥陀様に出遇うご縁であったと味あわれたのです。 私たちもお念仏と共に生かされていくことで、ありのままに生きる道が開かれているのです。 合掌