ここでは、住職とその仲間のお寺で運営している「テレホン法話」を掲載しています。法話は一週間ごとに変わっていきます。

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TEL 0581−34−4242

『 道綽禅師 U 』

関市  光円寺    日野 安晃 師

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 道綽禅師は、ある意味、聖道門を極められたお方でした。ところが、知識、理屈としては理解できても、煩悩を克服することができない。なるほど世はお釈迦さまの時代を遠く離れ末法である。様々な行は教えとしてあっても、それを正しく修める者もなく、まして悟りを開く者もいない。これは教えが間違っているのではない、私たちの現実がまさに教えの通りなのである、と見抜かれたのです。

思うのですが、末法思想とは何でもできるはずだと思い上がった人間がたどる歴史を言い当てたのかもしれません。自然を征服しうると思い上がり、神を殺し、仏さまを蔑ろにし、人間同士、権利を主張しあって争いが絶えません。その歴史はまた正義の歴史でもあります。悪を廃して善を修する。誠にもっともな話です。けれども、良いことをしているつもりの時はなかなか反省することができません。傲慢にもなります。これは今の私たちにも通じる課題だといえるのではないでしょうか。人間の抱えた深淵を見抜かれた浄土教が理解されるには、やはり像末法滅に至る人類の歴史の積み重ねが必要だったのかもしれません。

悪を悪と知らないのも罪、悪いと知りつつ居直るのも罪、善を善と誇って行うのも罪、私たちの人生はどうころんでも悪を造り続けるほかありません。そのことを深く悲しまれた仏さまが、私たちをお悟りの世界へと導かんと誓われ、お念仏となって働きかけていて下さると禅師は慶ばれたのです。また、お念仏ひとつと頂くにも注意を促して下さいました。何故なら、お念仏が良さそうだから私はこれで行こう、と自分の手柄にしたいのが人間です。けれどもそうなると、仏さまのお慈悲を慶べずに、本当にこれでいいのかな、とか、もっと良いものはないか、と疑い迷って仏さまを悲しませることになるからです。

合掌