平成21年7月12日〜13日
正尊寺仏教壮年会研修旅行in京都

 

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午前7時本巣上空、雲多少あるけれど雨は無し、21名集合し京都を目指しました。

 

 

午前9時45分予定通り本山北境内地駐車場に到着しました。クーラーの効いたバスから降りると京都は真夏のような暑さクラクラ来ました。

 
 

本山西本願寺の境内に入り、まずは参拝会館で上山の手続きを済ませ、しばし休憩です。

 

午前10時20分、参拝係の職員さんに先導され法要の勤まる阿弥陀堂(あみだどう)へ移動します。

 
 

お堂の中は結界(けっかい:一般者との境)で正尊寺仏壮御一行様の指定席が確保されていました。
 一同キンチョウ!

 

午前10時30分ちょっきりに、5名の楽人が奏でる雅楽に合わせオレンジ色のお導師が入場。いつもと違う調子、律曲の讃仏偈が勤まる中お焼香。

 
 

お勤めが終わり再び参拝会館に戻り、今度は本願寺名案内人のM職員さんの先導でお斎会場へ、サプライズな場所に案内された。
「ご院さん、ここでお昼ご飯?」と会員から耳打ち・・・

 

飛雲閣(ひうんかく)の対面所に敷かれた緋毛氈、その上には正尊寺御一行様用に朱色のお膳が並べられていた。
下手に座ったM職員さんから懇ろなご挨拶 ・・・・・
一同再びキンチョウ!!

 
 

気もそぞろにお精進のお斎を頂くと、女性職員さんが食後のお抹茶を運んできてくれる。眺めるだけでも大変な国宝飛雲閣で食事にティータイム、太閤殿下になったような錯覚・・・

 

箸袋を見ながら「食後のことば」そこからは、Mさんの独壇場。飛雲閣の中、普段聞けない細部についての説明を聞く。門徒のお寺なればこそ、こんなお宝の部屋で田舎者が接待を受けられる、ありがたいことだった。

 
 

外から見えない内部の構造、一同感心しながら見学をさせてもらった。船着き場の玄関・・・・スライド式だった。

 

会員からは一生に一度の経験をさせてもらえた、本願寺門徒でほんとうに良かったとの感想。
本願寺参拝部のご配慮、心より感謝。

 
 

境内地では葉書の木や唐門について詳しく謂われ説明を聞いた。キリンビールのラベルの話の時、飲み助の会員おおいに頷く姿は印象的だった。

 

書院拝観でもMさんのパワーは全開、その絶妙にユーモアを効かせた解説ブリに皆さんご満悦。やはり2〜30人といった団体が一番イイ感じのようである。

 
 

午後2時、駐車場で待機するバスから個人の荷物を降ろし、聞法会館のクロークに預けて本願寺を出発、烏丸三条の六角堂へ移動しました。

 

六角堂は親鸞聖人が比叡山から100日間通い参籠され、自力聖道聞から他力念仏へと転身されたターニングPointとなる場所。祇園祭が始まろうとする町衆の雑踏のなかで、皆さんチョッと考えました。

 
 

六角堂をあとにして、祭り気分が漂う円山公園を登り、法然聖人が草庵を結んでおられた跡地、吉水の安養寺へ参拝。
最後のきつい階段を上がる前に集合写真を撮影しました。

 

安養寺は時宗(じしゅう:一遍上人)のお寺だが、吉水の草庵跡という謂われから、両脇には法然様・親鸞様のお木造が安置してあり、正面の柱には正信偈のご文が掛けられていた。

 
 

安養寺から更に山へ昇ると、そこには法垂窟(ほうたるくつ)と大きな石柱や石版が置かれています。数名の会員山道で行方不明、集合写真にならず・・・

 

頂上目指し道を間違えた会員が戻ってきて、岩屋の中を不思議そうに眺める。法然聖人時代ここらの岩屋で雨風を凌ぎ念仏したとの伝承があるそうです

 
 

岩屋の洞窟の上には善導大師を拝む法然聖人が銅板のレリーフに著され頭上の岩に埋め込んでありました。

 

安養寺から一段下るとそこには弁財天のお堂があり、その脇には吉水の井戸が今も清水をたたえ、青蓮院のお供水の汲み場となっていました。

 
 

午後7時、2時間半の自由時間を京都繁華街で過ごした会員が三条上がった加茂川べりに集結し、夕食懇親会の始まり始まり。

 

懇親会場はチョッと予算を抑えた豆腐料理、けれどロケーションだけは京の夏の風物、加茂川にせり出した床での宴会、おおいに盛り上がりました。

 
 

7月13日午前6時、本願寺でのお晨朝に参拝、阿弥陀堂でのお勤めは換鐘(かんしょう)で内陣のお坊さんが出てきて始まる。本山の換鐘は堂内からサインの伝達でスピード調整、三人がかりさすがであります。

 

月曜日とあって一般の参拝者より内陣下陣でのお坊さんの数はとても多くかんじました。

 
 

阿弥陀堂での讃仏偈のあと御影堂へ移動しました。
この4月まで10年間は総御堂でお勤めのため、この光景がありませんでした。

 

御影堂に安置された御真影(ごしんねい:親鸞聖人のお像)の前でのお朝事『正信偈』、今回の京都研修を企画するきっかけともなった出来事です。

 
 

お晨朝を済ませ聞法会館の地下食堂で朝食バイキング、少し各自休憩、午前9時本山出発し角坊(すみのぼう)別院へ移動、待ちかまえていて下さった主管さんからお話し若聞く。

 

還浄殿(げんじょうでん)と第20代広如上人が揮毫された額が掲げられた本堂、親鸞聖人ご往生の地であること示しておられる、会員みなでお勤めもさせてもらいました。

 
 

境内には「元本堂」と掲げられた旧のお御堂が建っている、京都御所にあった建物を移築しただけあり、書院作りの良い作りだがもうすぐ壊されなくなるらしい・・・寂しいことである。

 

門前に掛けられた大きな網代傘、かつての親鸞聖人銅像が戦争供出させられるとき、ご門徒が機転を利かせ隠しておいた傘であると聞かせてもらった。

 
 

角坊から北山に向かい比叡山きらら坂の登山道入口まで歩を進めて記念写真を撮りました。

 

親鸞聖人は比叡山大乗院から尾根を越えこの「きらら坂」を通り100日間六角堂へ参籠された、そのご苦労の万分の1にも満たないが、高齢化の会員バテ気味でした。

 
 

研修最後の訪問地、大原の里、呂川に沿ったお店屋さんを覗きながらあるきました。途中アイスきゅうり(一夜付けのきゅうりを串刺しにして冷やしたもの)を囓りビールを飲みのみ歩きました。

 

三千院門前の芹生(せりしょう)で昼食、団体御一行様専用のお店にしては、お座敷の大広間渋い作りで楽しめました。

 
 

法然聖人が54歳の時当時の聖道門の学僧と他力念仏の正当性を論戦された大原問答の舞台、勝林院へ参拝しました。

 

広々とした勝林院本堂内で証拠のご本尊にお参りし、問答台を見ながら800年前のドラマを想像し、天台の声明ときのうの阿弥陀堂の声明を繋げながら話をさせてもらいました。

 
 

今回の旅行はJA観光からバスの手配をしてもらった羽島バス、運転のK木ドライバーなかなかのテクニシャン、安心して大型進入禁止の隘路へも突入してもらえました。

 

仏壮旅行始まって以来でしょうか、明るい内に駐車場で恩徳讃を全員斉唱し解散しました。
予定通り全行程無事楽しく意義ある研修が出来ました。
皆様お疲れさまでした。

 

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