正尊寺の歴史              

《草創期》

正尊寺の歴史は古く、天台宗横蔵寺(801年伝教大師最澄創設)の末寺として創建された。
しかし、室町時代に入り横蔵寺の衰退と共に正尊寺も無住の廃寺同然になっていたと伝えられている。
〈当時の古地図:創建当時の門徒範囲〉
その当時は現在の中島の地から北西に1qくらい離れた向野の南に建っていた。
そこへ、文明5年(1473)福井県吉崎御坊の蓮如上人から遣わされた了光坊が、浄土真宗に改宗し本巣町・大野町・谷汲村・糸貫町・網代西郷の門徒と共に荒れ寺を浄土真宗の道場として正尊寺を再建した。

享禄3年6月(1530)の根尾川大洪水で堂宇すべて流失した。この時、第2代道珍住職は蓮如上人下賜の六字名号、恵心僧都作阿弥陀如来像、紺紙金泥大般若経1巻のみを持ち出すのが精一杯だったと伝承されている。
   〈現存する当時の寺宝〉
大洪水で流出した堂宇の再建のため、当時の国主土岐頼芸(後、斎藤道三に滅ぼされた土岐家最後の守護職)は現在の地に寺領と寺内免許を正尊寺に与えた。
以来現在に至るまで、寺基の移転は無いが、永禄7年9月(1564)織田信長によって焼き討ちにあい、堂宇や多くの宝物(蓮如上人から頂いたお手紙など)を消失してしまった。
しかし、本能寺で織田信長が失脚し、豊臣・徳川と世の移り変わりの中、門信徒と共に念仏の道場として16代の住職継承をして現在に至っている。